ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

かつての諏訪湖を見てみたい

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今週のお題「行ってみたい時代」

ひとつ前のエントリーみたいなギスギスした書き込みは早く過去へと埋没させてしまいたいので、どんどんと新しく書いていこうと思います。思いますが、何を書いたものやら…

そんな風に思っていたら、ブログ初心者には優しい、そして嬉しい企画。う~ん、行ってみたい時代ねぇ。

それがいつの頃なのかピンと来ないのだけれど、大昔、地元諏訪の街がすっぽりと諏訪湖の底にあった時代があったそうだ。その頃の諏訪の街、とういか沈んでいるから諏訪湖か、まぁ、ともかくその頃の地元の姿を見てみたい。

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この見慣れた諏訪湖が今よりはるかにデカかったらしい。土砂が堆積して、年々小さく、浅くなっているというけれど、本当にデカかったのだろうか。

かつての諏訪湖の大きさについては様々な伝承や記録があります。歴史というのは昔に遡れば遡るほど正確な記録が少なくなり、あいまいで、怪しいものになります。諏訪の古代史もご多分に漏れず、色々と怪しいところが多々あります。そもそも、諏訪明神こと建御名方神が出雲から逃げてきたとされる古事記の記載も日本書紀の方にはないし、地元にはこれを真っ向否定する伝承もあります。そんなわけのわからん諏訪の古代史については色々と勉強してみたが、結局、「これが真実」とは自信をもって語れないので、ボランティアで観光ガイドをする際も絶対に「こうです。」とは言い切らない。だから、以降の話も「こういう話もある。」くらいのものだと思ってお読みください。

さて、その諏訪湖のサイズに関する伝承について。

この辺りに小袋石(おふくろいし)という石というか岩があります。早苗さんの実家こと守矢資料館のすぐ近くです。諏訪子だ、加奈子だ、と聖地巡礼をなさっておられる東方ファンの皆さまも、是非、チョッとだけ足を延ばして見に行ってみてください。すみません、わからん人には全くわからない話をしました。書いている自分も実はよくわかっていません。コスプレして諏訪大社を参拝なさっていた方から仕入れた情報です。話を戻します。この小袋石、小さい袋と言っていますが、とてもでかい岩でちょっと驚きますよ。それがこれです。

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パッと見の印象は「風の谷のナウシカ」の王蟲の抜け殻です。サイズ、雰囲気ともにそんな感じ。こんな大岩が山の中にどういうわけか一つだけあるのです。八ヶ岳が噴火した際に飛んできたものだと聞いたこともありますが、ホントかどうか私は知りません。

でね、この大岩、別名があるんです。それが、「舟つなぎ石」。案内の看板にも書いてあるでしょ。

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要するにね、かつてはここまで諏訪湖だったってことらしいのです。未だに私は半信半疑です。上のマップを広域にしてみてください。完全に諏訪の街は湖底です。でも、本当ならすごいことですし、是非その頃の諏訪湖を見てみたいと思うのです。

あと、これ書いていて思ったのですが、噴火前の今より数百メートル高かったという、かつての八ヶ岳も見てみたいものです。